【1分怪談】工事現場の挨拶

現場監督やって、もう十年くらいになるんだが。

その現場に入ったのは、去年の秋だった。都心から少し離れた住宅街の一角で、古いマンションを建て替える仕事だった。

新しい現場に入ると、初日は必ず職人たちが挨拶回りをする決まりになっている。うちの会社では昔からの習わしで、四方の柱や足場に向かって手を合わせる者もいる。験を担ぐようなものだ。

その日も、若い作業員が一人一人に頭を下げて回っていた。まだ入って半年ほどの新人で、真面目だが少し要領の悪いところがある奴だった。

一通り終わったと思っていたら、彼がまだ頭を下げ続けている。視線の先、足場の三階あたりには、誰もいなかった。

「そこ、誰もいないぞ」

声をかけると、彼はきょとんとした顔でこう言った。

「いえ、誰かいたので」

周りの職人たちも顔を見合わせたが、深くは追及しなかった。朝の光の加減で目の錯覚を起こすこともよくある話だ。特に気にせず、その日の作業を終えた。

三日後の朝、ちょうど職人たちが朝礼をしている最中に、その足場が突然崩落した。轟音と共に、組んだばかりの足場が半分ほど崩れ落ちた。

不幸中の幸いで、全員が朝礼のため足場から降りていたタイミングで、怪我人は一人も出なかった。もし作業中だったらと思うと、今でも背筋が冷える。

事故の原因調査で、現場事務所に保管されていた古い土地の記録を確認することになった。整理していた資料の中に、この土地についての古い報告書が紛れ込んでいた。

読むと、この土地は以前、別の建設会社が入っていた際に、作業員が足場から転落して亡くなる事故があった場所だったらしい。報告書には当時の現場図面まで添付されていて、事故が起きた足場の位置まで細かく記されていた。

その位置を、今回崩落した足場の図面と重ね合わせてみた。

ほぼ同じ場所だった。

あの若い作業員には、それ以来一度も現場で会っていない。後で人事に確認したところ、そんな名前の作業員は、うちの会社には最初から在籍していなかったという。

出勤簿にも名簿にも、彼の名前はどこにも記載されていなかった。

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