野生動物の生態観察が趣味で、休日になると、山に入って定点カメラを仕掛けることがある。
きっかけは、数年前にたまたま見た、野生のフクロウが写った動画だった。誰もいない山奥で、人知れず生きている動物たちの姿を、自分の手で記録してみたいと思い、そこから独学で撮影機材について調べるようになった。最初は安価なカメラ一台から始めたが、今では複数台を所有し、地域ごとに設置場所を変えながら、継続的に記録を続けている。
野鳥や鹿、たまにツキノワグマが写ることもあり、撮れた写真をSNSに投稿するのが、ここ数年のちょっとした楽しみになっていた。フォロワーの数はそれほど多くないが、同じ趣味を持つ人たちから、時折コメントをもらえるのが励みになっていた。
これは、去年の秋にあった話だ。
いつも通っている山の一つに、まだカメラを設置したことのない斜面があった。地元の猟師から「あのあたりは獣道が多いから、良い写真が撮れるかもしれない」と勧められ、試しに設置してみることにした。
平日の午後、仕事を早めに切り上げて山に入った。斜面を四十分ほど登り、獣道が交差していそうな木の根元を選んで、定点カメラを固定した。人感センサー式で、動くものを検知すると自動的に撮影する仕組みになっている。地面の様子や周囲の踏み跡から、複数の獣道がちょうど交わる位置を見極め、カメラの向きを微調整した。設置自体は慣れたもので、三十分程度で作業を終えた。
作業を終えて斜面を下りる途中、ふと妙な静けさを感じた。普段この時間帯なら、鳥の鳴き声や虫の音が絶えず聞こえてくるものだが、その日はやけに静かだった。気のせいだろうと思い、特に気にせず下山を続けた。
その日は特に何事もなく下山し、一週間後、様子を見に行く予定を立てていた。
一週間後、山に入り、カメラを回収した。SDカードをその場で確認するのが毎回の楽しみで、今回も期待しながら、持参したタブレットで写真データを開いた。木漏れ日の差す斜面に腰を下ろし、一枚ずつ写真を確認していく時間は、いつも心が落ち着く瞬間だった。
最初の数十枚は、いつも通りの内容だった。夜行性の小動物、風で揺れる木の葉に反応したと思われる誤作動の写真、明け方に通りかかった鹿の親子。鹿の写真には、思わず頬が緩んだ。まだ幼い子鹿が、母鹿の後ろにぴったりとくっついて歩いている姿が、レンズの向こうに写り込んでいた。
だが、日付が進むにつれて、気になる写真が交じり始めた。
三日目の深夜、時刻表示は午前二時十七分。写真の中央、木々の隙間、フレームの奥まった位置に、小さく、人の形をしたシルエットのようなものが写り込んでいた。
拡大してみたが、暗すぎてはっきりとは判別できなかった。木の陰か、光の加減による誤認識かもしれないと思い、その場ではあまり気にせず、次の写真に進んだ。長年この趣味を続けていると、木の枝や岩の影が、たまたま人の形に見えることは珍しくない。今回もその類だろうと、自分に言い聞かせた。
四日目、同じく深夜の時間帯に、また似たようなシルエットが写っていた。位置は、前回より心持ち、カメラに近づいているように見えた。念のため、三日目の写真と並べて見比べてみたが、木々の隙間から差し込む位置関係が、確かに微妙にずれていた。
五日目、六日目と、日を追うごとに、そのシルエットは少しずつ、カメラに近づいてくるように写り続けていた。撮影時刻は毎回、深夜二時前後で固定されているようだった。他の時間帯には、いつも通りの動物たちの姿しか写っていない。まるで、その時間帯だけ、何かが決まった手順でカメラに近づいてきているかのようだった。
七日目の写真では、シルエットの輪郭が、これまでよりもはっきりと確認できた。人の形をしていて、両腕を体の横に下ろしたまま、まっすぐこちらを向いて立っているように見えた。顔の部分は、暗闇に溶け込んでいて判別できなかった。服装らしきものの輪郭も、かろうじて見て取れたが、それが普段着なのか、それとも別の何かなのか、判断はつかなかった。
さすがに薄気味悪くなり、この時点で、地元の猟師にこの写真を見せてみることにした。長年この山を知る人物なら、何か心当たりがあるかもしれないと思ったからだ。
猟師の自宅を訪ね、タブレットの画面を見せると、彼は最初、興味深そうに写真を眺めていた。だが、七日目の写真にたどり着いたところで、表情が変わった。しばらく黙り込んだ後、こう言った。
「これは、獣じゃないな」
詳しい説明はなく、それ以上は多くを語らなかった。ただ、その表情から、ただならぬ雰囲気だけは伝わってきた。何か知っているのかと重ねて尋ねてみたが、「山にはいろいろあるから」とだけ返され、それ以上は話が続かなかった。長年山と付き合ってきた人特有の、言葉にしがたい経験則のようなものがあるのかもしれないと、その時は納得するしかなかった。
念のため、カメラの設置場所を変えるべきか迷ったが、ここまで撮れた写真が惜しく、もう少しだけ様子を見ることにした。カメラの位置はそのままに、設置角度だけを少し変え、より広い範囲が写るように調整し直した。作業をしている間、背後の茂みが気になって、何度も振り返ってしまった。
それから一週間後、再びカメラを回収しに行った。今回は途中で気が変わり、道の駅で待ち合わせて、友人にも同行してもらうことにした。一人で山に入るのが、なんとなく怖くなっていたからだ。友人には、詳しい理由は話さず、「一緒に山歩きしないか」とだけ誘った。
友人と二人で斜面を登り、カメラを回収した。道中は普段通りの雑談を交わしながら歩いたが、内心では、あのシルエットのことが頭から離れなかった。登りながら、友人にはあらかじめ、写真に妙なものが写っていたことだけを軽く伝えておいた。「心霊写真みたいなやつ?」と友人は半分笑いながら聞き返してきたが、実際に画面を見せるまでは、それほど深刻には受け止めていない様子だった。カメラを手に取り、その場で腰を下ろして、タブレットにデータを移す作業を始めた。データを確認していると、友人の顔色が、みるみる変わっていくのが分かった。
八日目の写真、時刻は午前二時十七分。前回とまったく同じ時刻だった。
写真の中央、あのシルエットが、これまでで最も近い位置に写っていた。カメラのすぐ手前、レンズを覗き込むような距離感だった。
輪郭は、はっきりと人の形をしていた。だが、顔の部分だけが、まるで撮影データそのものが欠損しているかのように、真っ黒に潰れていた。周囲の木々や地面ははっきりと写っているのに、その部分だけが、意図的に塗りつぶされたかのように不自然な黒さだった。
友人は、その写真を見た瞬間、「もう帰ろう」と短く言った。それ以上は何も語らず、足早に下山の準備を始めた。普段は物事に動じないタイプの友人だっただけに、その反応の速さが、かえって恐怖を煽った。カメラ本体も、触れるのをためらうように、軍手をつけたままそっと袋にしまい込んでいた。
帰り道、友人にどう見えたか尋ねてみたが、「あれは説明できない」とだけ繰り返し、詳しくは話してくれなかった。ただ、彼が普段見せないような真剣な表情をしていたことだけは、今でも覚えている。下山中、彼は何度も後ろを振り返っていた。何が見えているのか尋ねても、「いや、何でもない」とだけ答え、それ以上は口を開かなかった。車に乗り込んでからも、しばらくは無言のままだった。
その日以降、あの斜面にはカメラを設置していない。撮れた写真のデータは、削除するべきかどうか、今でも決めかねている。パソコンの奥深くのフォルダに、そのまま眠らせてある。
数ヶ月後、別の場所で定点カメラを回収した際、ふと思い立って、あの一連の写真をもう一度見返してみることにした。日常の忙しさに紛れて、いつしかあの一件も、記憶の隅に追いやられかけていた頃だった。
改めて撮影日と時刻を一覧にして書き出してみると、単に距離が縮まっていっただけでなく、写り込む角度にも共通点があることに気づいた。どの写真も、シルエットは決まって、カメラのレンズをまっすぐ見据える位置に立っていた。木の陰から偶然人影のようなものが映り込んだにしては、あまりに一貫していた。まるで、レンズの存在をはっきりと認識した上でそこに向かって歩みを進めているかのように
そして、最後の写真が撮影された午前二時十七分という時刻は、地元の猟師から後日聞いた話によると、数十年前、あの山で遭難者が発見された際の、発見時刻とほぼ一致していたという。猟師自身も、当時まだ若かった頃に、その捜索に加わっていたことがあるらしい。詳しい状況までは聞けなかったが、彼の口ぶりからは、あの山に対する複雑な感情のようなものが伝わってきた。
真偽のほどは、今も確かめようがない。ただ、あれ以来、山に定点カメラを仕掛けるとき、設置してから回収するまでの日数だけは、なるべく短くするように気をつけている。長くても三日、可能であれば一日か二日で回収するようにしている。
八日間、同じ場所にカメラを置いたままにすることだけは、もう二度としないと決めている。それが具体的に何を意味するのか、自分でも説明はできないが、直感的な戒めのようなものとして、今も守り続けている。

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